どこの橋でしょうか?東京散歩 [クイズ]
さてさて、どこの橋でしょう?かわかります?
[ヒント]
●隅田川に掛かっている
●隅田川では一番古い
●奥の細道(松尾芭蕉)の出発点
●東京は荒川区と足立区の境目
●国道4号線が通っている
答え
答えは「千住大橋」でした(^^)
むしろヒントが簡単だったかな~~
まあこんな感じなわけ。
[松尾芭蕉記念館より]
奥の細道の出発点はこの千住大橋で、
このイメージ人形を見ると弟子らしき人物と二人で旅をしたみたいね。へ~~
江戸時代からあったわけだが、当然そのころは木の橋だわ。
これが芭蕉が通ったコース。
もっと詳しく知りたい人はこちらをどうぞ↓
橋の歴史 [編集]
最初に千住大橋が架橋されたのは、徳川家康が江戸に入府して間もない文禄3年(1594年)11月のことで、隅田川最初の橋である。当初の橋は現在より上流200mほどのところで、当時「渡裸川の渡し(戸田の渡し)」とよばれる渡船場があり、古い街道筋にあたった場所と推測される。
架橋を行ったのは関東代官頭の伊奈忠次。橋長66間(120m)、幅4間(7m)の橋で、土木工事の大家だった伊奈忠次でも難工事だったようで、熊野権現に祈願してようやく完成したといわれた。
伊奈忠次が祈願したとされる熊野権現は南千住6丁目に現存しており、この故事が元となって橋が架け替えられるたびに社殿を橋の余材を使って修理、祈願をしたといわれる。また祭礼では橋の南北で橋長と同じ長さの66間の綱をつかって綱引きをして吉凶を占う行事があった。
架橋後は「大橋」とよばれ、それまで現在の白鬚橋付近にあった橋場の渡しが佐倉街道、奥州街道、水戸街道への街道だったが、この橋に街道が移った。幕府は江戸の防備上、隅田川にはこの橋以外を認めなかったが、後に明暦の大火等もあり交通上、安全上のため両国橋等が完成してから「千住大橋(小塚原橋とも)」と呼ばれていたようである。
千住大橋は何度も改架、改修が行われ、正保4年(1647年)、寛文6年(1666年)、天和4年(1684年)、享保3年(1718年)、宝暦4年(1754年)、明和4年(1767年)の計6回に及ぶ。なお、明和の架け替えの際に、ほぼ現在の位置に架け替えられた。明治18年(1885年)7月1日の台風による洪水まで、流出が一度も無く江戸300年を生き抜いた名橋と言われる。明治18年の流出の際、下流の橋を守るために多くの水防夫が活躍した。
その後、二重の太鼓橋様式の木橋として再架橋され、関東大震災後の震災復興事業の一環として、昭和2年(1927年)に現在の鉄橋が架橋された。タイドアーチ橋としては日本最古のものである。昭和48年に交通量増大のために、下流側にぴったり接して新橋が架橋された。
歩いて歩いて・・・昔のひとは
健脚でしたねぇぇ
by jewel (2011-11-03 11:00)
隅田川は僕の原風景みたいなもので、今みたいなコンクリート製の堤防ができる前から眺めてきました。
日本の高度経済成長期においては、かなり汚染が進み、いい匂いを発していました
by 駅員3 (2011-11-03 12:25)
■jewel ちゃん
今の人は車や電車または飛行機と利用して長旅したと言ってるけど、
昔の人は徒歩だからね。本当凄いですね。
by hukayoi (2011-11-03 20:53)
■駅員3ちゃん
コンクリート製の堤防が出来る前の隅田川を見たことあるのですか、
とてもうらやましいです。
高度経済成長期って公害が問題になってましたね。
あと東京に限らず、公園とか道は今と違ってゴミだらけでしたね。
by hukayoi (2011-11-03 20:59)
■ミコちゃん
リア充は大事ですね。
ほんとそう思います(^^)
by hukayoi (2011-11-05 05:57)
松尾芭蕉さんの出発点ですものね~~
千住大橋を渡って、足立市場内にある武寿司さんが好きです。
もう1年以上行ってないですが・・・^^;
by リュカ (2011-11-09 19:58)
■リュカちゃん
前に言ってたよねお寿司が旨いって。
今度千住に行ったら是非行ってみます。
武寿司さんね憶えておきますよ~(^^)
by hukayoi (2011-11-09 20:08)
■ジャパンカップ 2011 ちゃん
ジャパンカップは最近あまり見ていなかったですね。
どの馬が強いのか良く分かりませんです(^^;)
by hukayoi (2011-11-26 17:25)
ここ渡らないと家に帰れなかったよっ
上野から~
by みうさぎ (2011-12-06 01:28)