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上信電鉄で富岡製糸へ [昭和・歴史]

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 今回も2ヶ月のお久しぶりです。

ちょっと上信電鉄に乗り富岡製糸工場へ行って来ました。


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 高崎から上信電鉄に乗り、上州富岡で下車。

高崎駅0番線 下仁田行きです。


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 富岡界隈はこんな感じなのだ。


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 古そうな建物が多い~な~


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 富岡製糸場は明治3年創業の昭和62年まで続いてた。

で、この建物は創業当時の物というからほんと凄いや~!!


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 これを見ると「ああ!!野麦峠」の映画を思い出すのである。

ここの添乗員さんに聞いた話だが、実際には給料も良くしかも待遇が良かったらしく逃げ出した女工さんは殆どいなかったとのことだ。(な~に、映画とはバカに違うな~~!!)


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 帰り、上州富岡駅にて。

ま、電車がまだ来そうにないので得意のローアングルの写真でも撮っとくかな。


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 私は線路のこのような光景が好きなのである。



根津神社 [昭和・歴史]

みなさん2ヶ月ぶりです~元気にしてましたか?

久しぶりの更新ですけど、間が空くとなんかギクシャクしたスタートな感じです。

仕事が忙しくて、休みになると寝てばっかりなのだ(猫より寝ているのである)(笑)

で、たまには東京へぶらりと散歩に出かけたのであった。


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 ここは東京の文京区にある根津神社である。根津というと谷中・根津・千駄木の通称”やねせん”の一つだ。

ほほ~!結構な人が来てるんだな。


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凄いおみくじの数だ!


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出店が多く出ているんだな~


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 お前は餌探しか?

根津神社が登場する作品 [編集]

文学 [編集]

  • 森鴎外『青年』
    • 「小泉純一は芝日蔭町の宿屋を出て、東京方眼図を片手に人にうるさく問うて、新橋停留場から上野行の電車に乗った。目まぐろしい須田町の乗換も無事に済んだ。さて本郷三丁目で電車を降りて、追分(おいわけ)から高等学校に附いて右に曲がって、根津権現の表坂上にある袖浦館という下宿屋の前に到着したのは、十月二十何日かの午前八時であった。」
  • 森鴎外『細木香以』
    • 「団子坂上から南して根津権現の裏門に出る 岨道に似た 小径がある。これを 藪下 の道と云う。」
  • 高村光雲『幕末維新懐古談』
    • 「従来神田明神とか、根津権現とかいったものは、神田神社、根津神社というようになり、三社権現も浅草神社と改称して、神仏何方(どっち)かに方附けなければならないことになったのである。」
  • 岡本綺堂『半七捕物帳(柳原堤の女)』
    • 「かれは強情にかんがえた末に、同町内の和泉という建具屋の若い職人を誘い出すことにした。職人は茂八といって、ことしの夏は根津神社の境内まで素人相撲をとりに行った男である。かれは喜平の相談をうけて、一も二もなく承知した。」
  • 夏目漱石『道草』
    • 「その人は根津権現の裏門の坂を上って、彼と反対に北へ向いて歩いて来たものと見えて、健三が行手を何気なく眺めた時、十間位先から既に彼の視線に入ったのである。そうして思わず彼の眼をわきへ外させたのである。」
    • 「こうした無事の日が五日続いた後、六日目の朝になって帽子を被らない男は突然また根津権現の坂の蔭から現われて健三を脅やかした。それがこの前とほぼ同じ場所で、時間も殆どこの前と違わなかった。」
  • 尾崎放哉『入庵雑記』
    • 「句会は大抵根津権現さんの境内に小さい池に沿うて一寸した貸席がありましたので、其処で開きました。」
  • 寺田寅彦『柿の種』
    • 「根津権現の境内のある 旗亭 で大学生が数人会していた。 夜がふけて、あたりが静かになったころに、どこかでふくろうの鳴くのが聞こえた。 「ふくろうが鳴くね」 と一人が言った。」
  • 岡本綺堂『深見夫人の死』 ※下記引用以外にも多数の記述あり。
    • 「その住宅は本郷の根津権現に近いところに在って、門を掩(おお)うている桜の大樹が昔ながらに白く咲き乱れているのも嬉しかった。」
    • 「わたしはその賑わいを後ろにして池(いけ)の端(はた)から根津の方角へ急いだ。その頃はまだ動坂(どうざか)行きの電車が開通していなかったので、根津の通りも暗い寂しい町であった。」
  • 佐々木味津三『旗本退屈男(第三話)後の旗本退屈男』
    • 「しかも、その六本の白刄を、笑止千万にも必死に擬していたものは、ほんの小半時前、根津権現裏のあの浪宅から、いずれともなく逐電した筈の市毛甚之丞以下おろかしき浪人共でしたから、門を堅く閉じ締めていた理由も、うしろに十数本の槍先を擬しているものの待ち伏せていた理由も、彼等六人の急を知らせたためからであったかと知った退屈男は、急にカンラカンラ打ち笑い出すと、門の外に佇んだままでいる京弥に大きく呼びかけました。」
  • 宮本百合子『田端の汽車そのほか』
    • 「森鴎外が住んでいた家は、団子坂をのぼってすぐのところにあった。坂をのぼり切ると一本はそのまま真直に肴町へ、右は林町へ折れ、左の一本は細くくねって昔太田ケ原と呼ばれた崖沿いに根津権現に出る。」
  • 林不忘『丹下左膳(乾雲坤竜の巻)』
    • 「江戸は根津権現の裏、俗に曙の里といわれるところに、神変夢想流の町道場を開いている小野塚鉄斎(おのづかてっさい)、いま奥の書院に端坐して、抜き放った一刀の刀身にあかず見入っている。」
  • 三遊亭圓朝(鈴木行三校訂・編纂)『敵討札所の霊験』
    • 「ちょうど根津権現へ参詣して、惣門内を抜けて参りましたが、只今でも全盛でございますが、昔から彼の廓は度々たびたび潰れましては又再願をして又立ったと申しますが、其の頃贅沢な女郎がございまして」
  • 夢野久作『東京人の堕落時代』
    • 「その次は井の頭で、これはどちらかと云えば高級なのが多いらしい。但、夜は高級か低級か保証の限りでない。根津権現はその又次という順序である。その他大小の公園、神社、仏閣、活動館、芝居小屋、カフェー、飲食店なぞが、色魔式の活躍場所である事は云う迄もない。」
  • 武田泰淳『目まいのする散歩』
    • 「肴町から電車通を横断して、左手に大観音(同じ宗派のその寺には、よく父親の命令でお使いに行った)を見て、根津権現の坂道にかかる。下宿屋の多い急な坂道を下りきって、上野山へと裏側から上って行く。そのあたりには、画学生の匂いがあり、やがて、美術学校や、美術館、博物館の建つ、上野山の西洋風のひろがりの中へ入る。」

                           =ウキペディアを引用=


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九段下にある歴史ある「九段会館」

享年の震災で負傷者が出てしまったので閉館中。


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今流行りの東京駅一番街。その一角の斑鳩(いかるが)でございます。

(左サイドバーの写真は本店)

斑鳩は旨いですな~~


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日暮れ時の新宿駅

実はフォトショップでセピアにしただけ(^^)


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こちらはセピア処理後にマゼンタを加えたのである。

新宿三丁目駅の都営新宿線


 

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日にちは坂登って、地元の伊勢崎は華蔵寺の桜です。

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大観覧車の中から

 

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いい年して、機関車に乗ったのである。

何故かゆっくりが凄く楽しんだな~

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向かって右が吾輩で、左が相方でござ~い。


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